
混沌と葛藤
- Fumiko MIKUNI HAMANO 三国富美子 浜野富美子
- 2022年7月2日
- 読了時間: 2分
5月11日から6月8日までの日本滞在、今日でフランスでの滞在22日間が経過。
毎度のことながら日本では休みがほとんどなく、
その為オリヴィエ先生とのレッスン曲の準備をするのは決まって仕事の隙間か、
時差ボケと飛行疲労に鞭を打ちながら帰仏後24時間以内の音出し。
で、あくまでもこれは私の弁解になるのである。
4月にもらったイザイ氏のExtaiseは前回からやり直しで6月も引き続きとなったわけだが、
課題となった内容は私にとって長年拗らせてきた部分でもあり、だからこそ深く向き合い、
うまく行かない原因を克服できるいくつかの方法を見つけることができた。
しかし、レッスン中、それは無惨に崩壊した。
まーた、オリヴィエ先生の優しい口調の長ーい説明付きのお怒り。
くどくど言われた後に「で、次は何やる?」と言われ、
答える立場の私はもうすでにクシャクシャに泣いていた。
目を押さえながら低い声で「ぶロコフィエぶ(Sergey Prokofiev)」というのが精一杯だった。
汗を拭くためのハンカチは涙と鼻水でぐしゃぐしゃ。
旦那のレッスン中も先生の後ろでいつまでも泣いていた。と、いうか涙が止まらなかった。
サン・ラザール駅までのバスの中も、お昼のハンバーガーを食べている間も次の日の朝になっても
気がつけば泣いていた。
そして私にとってその日は私以外の、聴衆である先生と旦那は悪者に過ぎなかった。
一人で弾いているときは完璧に弾けているんだから!!
伝統、と言われるもの、それは良い意味で整理されたメソードだけれど
時として人を縛り、自由な感性に蓋をさせる。
私は思うところがたくさんあったのだが、フランス語で捲し立てることや、
まして先生に理解してもらおうなんてレベルのロジックもあいにく持ち合わせていない。
お慰めに昨日はアルフレッド・コルトーの伝記を読んだ。
闘うもしくは争う
それは自分の中だけで外に出さなければ、
(外に出すと社会で大変な制裁を喰らう by コルトー)
生きている限り必要なことだと教えてもらった。
コルトーのショパンは優しくて強い。

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