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情熱はどこ
- Fumiko MIKUNI HAMANO 三国富美子 浜野富美子
- 2022年5月6日
- 読了時間: 2分
更新日:2022年11月17日
写真はベルギーのリエージュ。
バイオリニスト、教師、作曲家であったウジェーヌ・イザイの自宅付近。
7年前に表敬訪問した。
と、言っても1858年生まれの人。
Eugène Ysaÿe Extase - Poème N° 4 Opus 21
今回の課題である。
帰国直前にレッスンを入れてもらえたのでとにかく2週間で仕上げたいところ。
いつもそうだが過去との会話なしではクラシック音楽は無である。
それは懐古主義か。時代遅れか。
でも神様とお話しする時間にものすごく似ている。
楽譜からお返事をきく、それが演奏者の仕事で
作曲家にお伺いを立てながら今の時代はこういう風潮なんですよ、
こう弾いてもいいですか?とやりとりをする。
それで、肝心なのは作曲家より前に立たないこと。
だから難しいんです、今の世の中でクラシックを演奏するのは。
演奏者は人前で弾くのだが、演者は目立たないでください、と。
それは真の謙虚さ、でも矛盾で、深淵で。
イザイは大きなデスクと練習曲(エチュード)の山に囲まれた部屋で
晩年を過ごし、それだけで音楽家は事足りるんだよ、と教えてくれる。
そしてイザイはバイオリニスト、教師というが作家、絵描きの性格の強い人である。
各地の演奏家のために献呈しているが
演奏してもらった曲はほとんど無い。
まるで難解な絵を描いて一方的に送りつけるかのよう。
だからイザイの曲は楽譜に忠実に弾く必要があり
勝手な解釈はもってのほか。
それでいてテクニックに走ると表現は半減する。
そんなことを旦那にぼやいたら
「それを超える情熱があったらいいんじゃない?
つまりは溢れてしまう、ってことだよ」と。
情熱。服の中に入っていたっけな、鞄の中に入っていたっけか?
探している時間は無い、レッスンまであと2日。

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