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婦人科手術後の女性の思い

  • 執筆者の写真:  Fumiko MIKUNI HAMANO 三国富美子 浜野富美子
    Fumiko MIKUNI HAMANO 三国富美子 浜野富美子
  • 2021年8月19日
  • 読了時間: 3分

今日で術後検診もひと段落、2019年の夏から2021年の夏まで私にとっては灰色の日々だった。

この2年で子供を諦め、自身の無力さを知り、笑顔は減った。

そして子供がいる女性と子供がいない女性の持っている旗は違う、と

最近になってその旗が見えるようになった。

その旗は色が違うか形が違うか、とにかく別の旗でどれも美しいから

羨ましいこともなく私の旗も美しい。



子宮、左の卵巣は今はもう私の体の中にはない。


手術前、不安で仕方がなかった日々。

同じ症状を検索しても不安は消えなかった。

今日はここに辿り着いた女性がいたらその人のために。


「(20代になって、もしくはまだ産みたい人なら)経血が多く痛みを感じたら

筋腫、内膜症はすでにあると思ってください。

そして、筋腫の場所、大きさによっては妊娠出来ない体かもしれないと知ってください。

子供を授かる予定がなくても、周りの年上の女性に生理痛くらい、と言われても、

男性経験があるとかないとかDVを受けているとかそんな因果関係も偏見も無視して、

婦人科での内診はドキドキするけど内科を受けるのと変わりないのでとにかく行ってください。

フランスでは10代から通うのは普通、日本は遅れていることも事実。

そして遺伝的要素だけでは分からないということも知ってください。

自分の体はどんなに愛しているパートナーでも親でも守りきれません。

神様にお願いしても叶わないことがあるんです。」


私は20代後半から30代は、休みが3ヶ月先までない、食事は夜中に作り置き、

忙しさのあまり天井が3日間ぐるぐる回ってまっすぐ歩けなくなる、

復帰までひと月かかったことも。

毎日毎日、南の島でゆっくり日暮れを見たいと思っていた。

夜中もミュート練習し、マンション下の住人にどつかれたことも。

生理痛は無視、出かける10分前まで布団の中から出られないこともザラだった。

生活に追われる仕事ではなく、演奏も充実していたし、生徒さんとの時間も楽しかった。

この時はまだ、私も母や姉のように産めると信じていた。

そして婦人科に行ったこともないまま43歳になり、フランスまで走った・・・・・・・・


術後の今。

切られた傷はそんなに目立つことはなく、でもちょっと変だと一眼で分かる。

そして重力に従ってひきつるような痛み、違和感。

今までうるさくなかったお腹はゴロゴロ鳴る、張る。

たまにズキーンと傷周辺が痛むことがある。

ちょっと早めの更年期、ホットフラッシュ。

エストラーナテープは初めと比べると効かない。

おまけにかぶれてカユイ。

残りを貼り終えたら違うものを探すことになりそう。

眠気があるのになかなか熟睡できない。

トイレ、行けるなら行っとこ。

不安な気持ち?毎日です。

失くしたものがあったはず、なんだったっけかな。

母は私に子宮がないことを忘れている。


手術しても私の筋腫は妊娠出来ないところにあるとか卵巣に得体の知れない存在があるとか衝撃の診察結果から始まって、あらゆる検査、注射、採血、瀕死の救急タクシー、パリでの手術、日本での嫌な診察、手術までの引きこもり期間、貧血でボロボロになった爪、朝起きたら布団が血まみれ、酸欠の脳みそ、必要以上の緊張感、時すでに遅しの自責の念、神様を恨むこと。

今日、その全てが終わり、


車のハンドルを握ったまま泣いた。


だけど病院へ行くにも

アクセサリー、流行りメイク、厚底サンダルを忘れない

(本来は病院へ行く時はノーメイク、おしゃれは控えるべきでしょうけど)

そんな自身の図々しい強さを思い出し

ああ、子宮がなくても

私、何にも変わってなくね?

と我に帰る。


ホルモンバランスが崩れても

シミも体重も増えません。

少女の頃から変わっていません。

女性ってそんないきもの。

周りになんと言われようと。


選択は広い方が良い。


明日もそれぞれの旗が美しくありますように。






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