夏の日に 日本にて
- Fumiko MIKUNI HAMANO 三国富美子 浜野富美子
- 2021年8月9日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年10月24日

久し振りの日本は14日間の隔離生活からスタート、いささか気分が悪い。
空港で義務化されたアプリは担当者の顔を見せないやり方、最悪。
民間の医療機関を守り、国民を管理したいのであれば誰でも無料でPCR検査が受けれるようにすべきだ。
オリンピックにしてもワクチンにしても
貧富の差の二極化ではなく
この際感情は抜きにして、生きるための選択を。
夏の日本はお盆とともに終戦日が重なる。
私は子供の頃からの戦争教育でPTSDに似た感覚があるので
なるべく戦争、迫害等のTVやニュースは観ないようにしている。
しかしフランスでは日頃から歩くだけで
第一次世界大戦、第二次世界大戦について
何らかが目に入る。
ヴェルサイユの石碑、パリの街角、観光地、至る所に兵隊やレジスタンスの生きた証がある。
刻まれた年号、名前、花束。
今も痛々しい。
そしてその背景には芸術も必ずある。
戦争利用された作品の数々、音楽、絵画はあまりにも有名、でも戦争利用で有名になっている作品の他にも
その影はまだまだある。
私たちがフランス音楽、と知る作品群の中に
空襲を受けている時の様子、それに苦しむ人々の様子などの描写が入っている作品がある。
クラシック音楽好きな人なら誰でも知っている作曲家の作品にそれは、ある。
効果音ではなく、美しい、素晴らしきメロディーの中に。
ただの音符と思って並べるととんでもない。
つまり、安易な音楽理論の説明は誤解を生む。
〜調=明るい、暗い、という単純なイメージで作品を固定するのは本質に値せず
感情表現を調に合わせる手法が作曲家の意図とイコールになるとは限らず、
調の特性を知り尽くした作曲家であればあるほどそうしない。
教会でさえ、許された和声とそうでない和声がヨーロッパの国によっても様々、
こと日本においては商売繁盛のためにアカデミックさをアピールしたいからと
肝心なものを省いた危うさで音楽理論をひけらかすのは恥ずべきではなかろうか。
言葉や文字では伝えきれない事実を見つめ、
当時のテンションを想像することが音楽を知る第一歩、表面的なことだけでは知り得なかった
数々の資料と伝授されたものの中から正しいことを伝える、それが誠実さ(芸術)ではなかろうか。
日本では演奏されてもヨーロッパで演奏されない曲、それには歴史と背景があることを忘れてはならない。
そしてまた、戦争がゆえに表に出せていない日本の作曲家の素晴らしい作品が山ほど眠っていることを
日本人はどれだけ知っているだろうか。
二極にある平和と戦争。
言葉にならない集合体が
言葉のない作品と共に鎮魂あらんことを。
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