努力の行先
- Fumiko MIKUNI HAMANO 三国富美子 浜野富美子
- 2023年2月19日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年10月20日
今朝は6時45分に目覚ましをかけ、朝もやの中、友人とラテン語のミサに行った。
Versaillesの市庁舎のすぐ裏にあるスノッブな教会、と勝手に理解していたそこは
行ってみると柔らかい灯りのこぢんまりとした古い温かなお御堂だった。
前の日に友人に誘われた時にはラテン語のミサ、朝8時から、真冬に、前日に、
という私にとっては苦手オンパレードのため断ろうかと思ったが、
日本語対訳のミサ式次第がダウンロード・コピーできたのでやはり行くことにした。
(誰かが、この作業をしてくれたのかと思うと感謝でしかない)
フランス人の彼女は母国語の他にラテン語のミサも理解していた。そして20歳の彼女はミサを諦めなかった私を母親のように褒めてくれた。
オリヴィエ先生からレッスン決定の返事が数日待っても来ないため、練習の合間にパリ国立高等音楽学校のサイトを覗きに行った。
学校の行事を見る予定がコンサーティストとして認められた卒業生のページへとなぜか飛んでしまった。
その中で一人知っている学生がいた。
彼は入学当時に比べて数段、数十倍上達していた。正直驚いた。
直立不動、楽器はちょうど良い高さ、ビブラートのコントロール、ボーイングの美しさ。
仕草はさすがオリヴィエ先生の門下生、ところどころ似ている。
毎年2回、試験の前になると門下生が集まってコンクール(1位とか2位とかを決めるコンクールではなく、試験曲などの試奏会をコンクールという)を開くのだが、私と旦那は毎年聴講しに行き、学生の成長を学ばせてもらっていた。
私たちが先生に就いた2014年に入学した2人の男の子がいて、私は19歳くらいの彼らを同期、と呼んでいた。
一人はロマンティックに柔らかく、一人は緊張気味で硬いしっかりとした音で演奏していた。
コロナ禍になり学生は録音やオンラインでのレッスン、試験となり、私たちも聴講に行くことはできなくなかったのだがその間に片方の彼は驚くほど成長していた。
さて、私はというと??生活資金を貯めに行き来、とか練習場所が確保しづらいとか、実家でおさんどんするからとか、
そういうのは仕方がないけど、それで上手くなれないのは逃げ、そう思い知らされた。
というわけでかなり気分はダーク、しかしその同期くんのおかげで私は勇気づけられた。
天才とか才能とかで芸術家が育つのではないということを。
私は8年目だが、6年間でモノにした彼を追いかけるように
ここまで来たら前に進むしかないと思った。
20代の若ささえない、遅延だらけの・・朝もやのような人生だけど・・。
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